星と自転車

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日々雑記

今年のこと

 ラ・ニーニャ現象のせいかどうかわかりませんが、今年の12月は寒い気がします。このところ気温はいつもひとケタ台。まるで冷蔵庫のなか。
 少なくとも、去年の12月は、最高気温がひとケタ台という日がこんなに続いた、なんてことはなかった気がするのですが…? 
 例年なら今ごろとっくに咲いているはずの庭の蝋梅も、今年はまだ固いつぼみのままです。 

 それにしても。
 今年は大変な年だったと思います。
 個人的には、帯状疱疹?になったり、左足の突然の疼痛でほぼ1カ月歩けなくなったり…。

 でも何と言っても、3月の大地震。
 生涯のあいだに震度6以上の地震を経験することなどないだろう、と根拠もなく思っていましたが。
 震度5はこれまで何度か経験がありました。でも、6となると、5の比じゃないな、というのが感想です。(直下型でなかったことはさいわいでした)

 揺れがさほどではなかった地域の人たちの頭からは、もうあの地震のことはすこし遠いことのようになっているかもしれません。でも、わたしにとっては、あの地震のせいで、変わってしまったことがいろいろある…そう思います。

 3・11…あの日、地震の初期の揺れ方から、わたしは震源地は東北だろうと直感したのですが、あまりにも揺れが収まらないので、ひょっとして地元が震源地?!と途中で思い直し。終わりかも、という気も、ちょっぴり頭をよぎりました。

 (あとになって、測量の日イベントの際につくばの国土地理院に行った時、説明をしてくれた方が、「前兆はなくていきなり来た地震」とおっしゃっていましたが、わたしは覚えています。3月11日の2日前にも地震があったのです。うちのほうでは震度3でしたが、宮城では震度5弱でした。いま思うと、あれは大地震の予兆だったのではないかと思えて仕方がありません)


 先々週の新聞に、県内の沿岸地域に住む住民を対象にしたアンケートの記事が載っていました。
 その記事で、あの日、「大津波が来るとは予想もしなかった」と回答している人が9割近くもいることが、わたしには驚きでした。(でも同時に、やっぱりそうなのか、という思いもすこし)

 内陸住いのわたしでさえ、こんなに津波に関心があるのだから、海沿いに暮らす人なら、あんなに大きな地震が来れば、当然津波のことはすぐに頭に浮かぶだろうし、すぐに避難しようとするはず、と思っていたのですが。それこそまったく“予想外”でした。
 (具体的には、地震発生後に「大きな津波が来ると思った」ひとは14%、「これほどの大津波が来るとは思わなかった」ひとが42%、「津波は来ないと思った」ひとが10%、「津波のことなどまったく考えなかった」ひとが34%、だったそうです)

 もっとも、わたしが人一倍津波に関心を持つようになったのには、ひとつのきっかけがありました。
 むかし、旅行で訪れた岩手県の宮古で見た、過去の津波の痕跡が、子ども心にあまりにも強く印象に残ってしまったせいです。巨大な防潮堤のそばを散歩したことも覚えています。(その宮古の町が津波がに飲まれたニュースには、ほんとうに言葉を失いました)

 去年の2月のこと。ちょうど東京マラソンのあった日に、チリの地震による津波が太平洋岸に押し寄せました。TVでマラソン中継と津波のニュースを同時に見ていました。
 このときは、人的被害はさいわいなかったからよかったものの。このときに思っていたのが、“正常化のバイアス”(10・3・14記)のことでした。

 それは、ヒトの心のクセのようなもの、なのかもしれません。でも、これでは、もっと大きな地震の時にみんな逃げられないよ~(~o~)、と思っていたことが、3月の大地震で起きてしまった…そんな気がしました。

 ある番組で「今回なぜこんなに被害が?」という問いかけに、ある地質学者の先生が言ってました。「ひとは忘れるから」(地面の下には何千年もの間に起きた古い地震の層がしっかり残っているのですが)
 そして、“正常化のバイアス”がかかって、そんなことは自分の身には起こらない、と思いこもうとするのが、ヒトなのかもしれません。

 茨城県では南西部地震というのがよく起こるので、わたしにも“地震慣れ”のようなものはあったかもしれません。
 が、あれ以来、ちょっとの地震でも身構えるようになってしまいました。
 5月までの2ヶ月間は毎日揺れ通しでしたし。ケータイの地震速報も鳴り通しでした。
 震度3程度の地震はいまでもときどきあります。大震災以前と比べれば頻度は高くなっているように感じます。
 
 今回の地震で初めて知ったことは、沿岸部から遠く離れた内陸でも、液状化現象は起こるのだ、ということでした。
 我が家の近所でもちいさな液状化があったようですし、埼玉の久喜あたりでもそのために電柱が倒れたりしたようです。

 地震のちからは計り知れないことだらけ、とあらためて思います。


 話は少し変わって。今年の夏は十ン年ぶりに青春18きっぷを買って、あちこち自転車に乗りに行きました。群馬のみなかみや千葉の南房総市…福島の郡山にも行きました。

郡山公会堂
 (国の重要文化財でもある、郡山公会堂)

 「なぜこの時期、福島に?」と友だちには聞かれました。
 原発から離れている地域のなかでは、郡山は放射線量がわずかに高いので、友人の心配はそういうことだったろうと思います。
 (すぐ西隣りの会津若松と比べると、線量の数値にすこし開きがあります。この違いを生んだものは何でしょうか?)

 線量のことを一切気にしていないわけではないけれど、行ってみようと思ったのは、こんなことが東北の応援になるのかどうかはわかりませんでしたが、何かしたかったから、です。

 郡山市内を走っているときに、東北電力の看板が偶然目に入りました。
 そうね、福島のひとたちは東京電力の電気を使っているわけではないのにね…。それなのに…。

中尊寺金色堂
 べつの機会に、平泉にも行きました。世界遺産登録になったことを、とくに意識していたつもりはないのですが。中尊寺には前にも行ったことがありますし。(宮古で津波の痕跡を見たのと同じ旅行の時に、です)

毛越寺庭園

厳美渓
 毛越寺や厳美渓にも寄りました。(こちらは初めて訪れた場所)

 車窓からほんの一部を見ただけなのでたしかなことは言えませんが、東北の町はどこも静かで穏やかに見えました。屋根にブルーシートを被せたお宅も見えず、それはむしろ北関東のほうが多いと思えました。
 揺れがとてつもなく大きかったことは事実ですが、あの津波さえなかったら、あの津波さえ来なかったら、そして原発の事故さえなかったら、東北の被害はきっともっと少なくて済んだに違いないと思いました。


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日々雑記

筑波山と月+タンタンの冒険(大貫妙子)

11-12-7tsukubamoon.jpg
 筑波山の上に昇った、昨日の月。この月が満月になると、皆既月食が見られます。あさって、晴れるといいな。

 話は違いますが、映画「タンタンの冒険」が人気みたいですね。
 すでに観て来た友だちが面白かったと。もう1度観たいと思ったという彼女と明日一緒に観に行く予定。

 個人的に思うのですが、タンタンとクシー君って、やっぱりどこか似てると思う。(クシー君はいつもニッカーボッカー・スタイルでいるわけではないけれど)
 タンタンにスノーウィがいるように、クシー君にはスプートがいるし。(そう言えばどちらもテリアよね?)
 
 で、思わず口ずさんでしまうのが、大貫さんのむかしのアルバム「コパン」に入っていた、この曲「タンタンの冒険」。
 ホンダのシティ?だったかな。CMに使われてたこともあります。



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本・音楽・映画など

ミュージックトラベル~EPO編

 ゆうべ初めて知った番組。
 ひとりのミュージシャンが、じぶんにとっての、なくてはならない10曲をセレクトして、その曲への思いやエピソードをご本人が語ってくれる音楽番組(BSジャパン)。
 昨夜の回はEPOさんでした。
 ゲストがEPOさんだったから、この番組に目が行ったのね、きっと。

 彼女の選んだ10曲は、わたしの好きな曲と被るの多くて、ちょっと嬉しかったです。

 デビュー曲だった、シュガーベイブのカバー、「DOWNTOWN」は当然としても。
(これは「オレたちひょうきん族」のエンディングに使われてたのでした。番組自体はあまり見てた記憶はないけれど…。シュガーベイブの、達郎さん自身が書いてるライナーノーツで、キングトーンズのために書いた曲だったということを知って、ほぇ~!そうだったんだ~、と思った記憶が)

 子どものころは昭和歌謡が好きだったというEPOさんの選んだ曲は、服部良一さん作曲の「胸の振り子」、トワ・エ・モアの「空よ」、由紀さおりさんの「生きがい」、カーペンターズの「Close To You」、サッチモことルイ・アームストロングの「What A Wonderful World」などなど。みんなメロディがしっかりした曲ぞろい。

 いま欧米でも由紀さおりさんがブレイクしているという話ですけれど。いいメロディ、いい歌唱の曲というのは、時が経とうとすたれないものなんじゃないかな。

 ふと思い出しました。トワ・エ・モアの「空よ」は、NHKでむかし、一般公募の優秀作をプロの歌手が歌うという企画の「あなたのメロディ」という番組があって、そこから生まれた曲でしたね? (北島三郎さんの「与作」もそうよね?)

 順調な音楽生活を歩んできたかに見えるEPOさんにも、いろいろ悩みはあったようで。でもそのたびに音楽が彼女を支えてくれたんでしょうね。

 彼女のアルバムを買って聴いていたのは、「WICA」とか「Voice of Ooparts」のころで、初期のころの元気印のEPOとは違う彼女が見えて、好きでした。(今でも褪せないいいアルバムだと思います)

 ちょうどその頃放送されていたのかな、日テレで、関口宏さんが司会をしていた「ワンダーゾーン」という番組があって。
 そのエンディング曲だったと思うのですが、「百年の孤独」(ガルシア・マルケスに同名の小説がありますね。読んでないけど)という曲が、いろいろな意味でいまのわたしの気分です…。


 
生まれた時に消されてしまう 
記憶はどこの海に沈んでいるの
Nobody knows it, my mysteries

遺跡を見ると胸が騒ぐ
わたしはどこに戻ろうとしてるの
Nobody knows it, my histories

目覚めた魂の 静かなひとりごと

wow wow いつの日か年をとって
みんなにさよなら言う時が来て
ほんとうのありがとうを 
言える気持ちはどんなだろう
Nobody knows it

灰になるとき風に乗って 
いろんな国の空を飛んでいたの
Nobody knows it, my mysteries

かわいた魂の 静かなひとりごと

wow wow いつの日か年をとって
時の走馬灯 見る時が来て
ほんとうのごめんなさいを 
言える気持ちはどんなだろう

(作詞・作曲/EPO)

 
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