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本・音楽・映画など

「一葉日記」

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(写真は晩秋の不忍池)
 
 図書館で樋口一葉の日記を見つけたので借りて読んでいます。耳鳴りがもう1週間も鳴り止まないので、相変わらず続けて長時間は読めません。へこたれつつ読んでいます。

 一葉の日記を読んでいると(まだ最初のほうだけですが)、空模様が怪しいだの、雨に降られただの、雨とか嵐の記述がずいぶん多く見られます。当時は雨がたくさん降ったのか? はたまた一葉は雨オンナだったのか?! 彼女が小説の作品指導(?)を受けていた桃水先生というひとのところへ通うときはほとんど雨模様みたいだし…。それから地震の記述も多い。けっこう頻繁に地震が起こっているように見受けられ。

 本郷菊坂近辺に住んでいた一葉は、上野の図書館まで通ってたくさん本も借りたり読んで勉強していたよう。図書館の閲覧者がほとんど男子ばかりで女子がいないのを不思議だと書いています。当時はまさにそうだったのだろうな。
 男子に混じって請求票を書いたり、その書き方が間違っていて書き直すように言われ、みんなに顔をじろじろ見られたりすると、汗びっしょりになって調べものの気持ちも失せるよう、とも。明治の女性にとっては図書館で本を読むのにもなかなか苦労がいったのでしょう。
 しかし、難しい本を読んでいると眠くなるだの書かれていると、一葉さんでもそうだったのだなぁとちょっと嬉しく?なるような…。 

 帰宅するときはよく不忍池のあたりを通っていたのか、蓮が花盛りだとか書いていたり(不忍池のあたりはこれまで何度も通っているけれど、蓮が満開なのを見たことはまだなかったな~。私が夏に歩いていないからか…)、ヒグラシの声を耳に留め、「あーした天気になーれ」と歌う子どもたちやら行水のあとシッカロールをまだらにつけた子どもに眼を留めたり、道すがらの夕暮れの街の様子など、お散歩の描写が私にはなかなか嬉しいものがあります。
 「大学を通り抜けて帰る」とあったりすると、一葉さんも東大の構内を抜けて行ったこともあったのかななどと思ったり。
 
 一葉の頃は不忍池の周囲はまだ競馬場だったようで(いまは歩道になっている)、競馬場の柵にあまり良い感じを持っていなかったらしい一葉が、それが古くなって壊れかかっているのを見て少しは気分が直ったなどと書いているのも、ちょっと面白かったり。 

 湯島天神の大祭を見に行ったり、隅田川のお花見に行ったり、長命寺の桜餅を妹に買いに行かせたなどと書いてあって、一葉さんもあのお餅を食べたのだな~という親近感も湧きます。

 私などからしたらとても達筆だと思うのに、一葉自身は「字なども生まれつき下手で、歌を書いても我ながら情けなく、気を配って人には見せないようにしていた」とか。おかげで通っていた歌の会のある人から“遠慮の姫”とあだ名をつけられ、それが会のほかの人たちにも広まってしまった由。そんな記述はなんとなく微笑ましい。一葉さんがとても可愛らしいひとに思えます。

 家の畑に植えようと思ってお母さんが買ってきた苗が胡瓜だと思っていたら、育つにつれて様子が変なので、知合いに聞くと夕顔だろうという返事。それが咲いたら花が黄色だったので、これも変だと思いまた尋ねるとそれはヘチマというものだろうと言われたので、それならヘチマ水を採ろうと準備をしていたら、なった実はどうやら冬瓜のようだった、などという話は、なんだかたわいなく可笑しくもあり。

 単なる新5000円札のひとでない、「たけくらべ」などを書いたスゴイ女流作家としての彼女ではない、明治という時代に生きていた、血の通ったひとりの女性としての、樋口夏子さん(一葉の本名)というひとが見えてくる気がします。日記というのはやっぱりなかなか面白いと思ったりしています。

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【評伝】『炎凍る 樋口一葉の恋』/瀬戸内寂聴
死ねば蝶になって あなた方の袖にたわむれよう 樋口一葉(1872-1896)は、明治文壇の才媛として、近代文学史に今なお燦然と光を放つ作家である。本名は「奈津(なつ)」という。筆名「一葉」は、明治24年19歳の時、東京朝日新聞記者兼専属作家(当時)半井桃水(1860-1926
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