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書こうと思います。
わたしの耳鳴りが発症したのは6月でした。
アメリカで9.11のあった年なので、今年で15年目というわけです。
このごろ耳鳴りのことはほとんど書いていません。
耳鳴りが治ったから、ではありません。
耳鳴りは鳴ってはいます、いまでも。
ただ、むかしほど耳鳴りに煩わされなくなってきた、とは言えるかもしれません。
大きいと感じることもないわけではありませんが、少なくなってきたと思います。
ドクターが「耳鳴りは慣れるしかない」と言っていたその意味が最近ようやくわかってきたような気がします。
なかには完治に近いひともいるかもしれませんが、鳴り始めた耳鳴りはほぼ治りません。ドクターの言うように、慣れるしかないのです、結局。
(でも!でも、です。言わせてもらえば、ドクターが耳鳴りに鳴り始めの患者に対して最初から、この常套句「耳鳴りは治りません。慣れるしかないです」と言うのはとてもまずい対応だと思います。
ある日突然鳴りやまない耳鳴りに見舞われて、不安とショックでいっぱいの患者がその言葉でどれほど傷つくか、どれほど見離された気持ちになるか、想像してもらいたいのです。患者の心に寄り添う医療を考えるドクターならば。
慢性の耳鳴りは24時間精神が休まることがなく、なってみなければ、それがどんなにツライか、苦しいか、ほんとうにはわからないと思います。機械的に測って、実際の音は15dBもないんだよ、なんて言われても、本人が100dBに感じているなら、それは100dBなんです)
ここへきてやっと耳鳴りと“共存”することができるようになった、のかもしれません。
耳鳴りに鳴り始めた当初、何か治るためのヒントはないかと、ネットでいっぱい検索しました。
あるアメリカ人の耳鳴り患者さんの話で「慣れるまでに15年かかった」というのを読んで、暗澹たる気持ちに襲われたことを覚えています。慣れるのに15年もかかるのか~と。ため息が出ました。
でもたしかに15年でしたね、わたしも。慣れてきたのかなと思えるようになるまでにかかった年数。
何が功を奏したのかはまったくわかりません。TRTをやったことが良かったのか、耳鳴りをすこしでも忘れる努力をしてきたことか。
薬で軽減したのではないです。5年ほど薬も飲んでいましたが、いろいろ試してもどれも効果がなかったので、それ以後薬には一切頼ってきませんでした。
最後の砦と思っていたTRTを始めたわけは、薬が何も効かなかったからです。(TRTという新しい療法があることは、耳鳴りが鳴り始めた当初から知ってはいました。でもそれは最後の砦だったのです)
順調に行ったわけではありません。当時はTCI(耳鳴り訓練器)のMAXボリュームよりわたしの耳鳴りのほうが断然大きいことが多かったからです。それでも薬に頼れない以上、TRTをやめるわけにはいかなかったのです。
(いまにして思うと、TRTで早めに効果があるのは、もうすこし重症度の低い耳鳴りのひとなんじゃないかと思います)
発症から6年ほど経った冬、ウツにも襲われました。朝になっても寝床から起きられず、ウツになると感情が平板になるというか、気力など湧かなくなり、感情が何も動かなくなるんだと実感しました。
何週間か前、、NHK総合で「キラーストレス」という番組がありました。
そのなかで、ストレスを減らすために有効なことのひとつが運動であるという話がありました。
それは、運動をすれば気分転換になるから、というそういう単純な理由ではなくて。
ウツは気の持ちようとか、そういう問題ではないということです。
不安・恐怖を過剰に感じてしまう扁桃体の影響で副腎からストレスホルモンが放出されてしまい、それが脳にも悪影響を及ぼすということでした。が、運動は自律神経が興奮するのを抑えてくれ、ストレス反応の暴走をする脳の構造を変えるというのです。
扁桃体と自律神経を繋いでいるのが延髄。
運動をすると、延髄の神経細胞の突起の数を減らし、扁桃体で受けたストレスを自律神経に伝わりにくくします。そのためストレスを受けても自律神経に影響が伝わらなくなる、のだとか。
延髄は副腎にもつながっているため、運動をすればストレス信号は副腎に伝わりにくくなり、多少のストレスがかかっても、副腎からストレスホルモンが出にくくなるとも。
わたしは自転車に乗ることでずいぶん耳鳴りというストレスを軽減できてきた気がしていましたが、これもはっきり理由あってのことだったのかも、と番組を見て思いました。
もちろん何がその人の耳鳴りにとっていちばんの軽減策になるのかは、それぞれのひとの耳鳴り症状によって違うでしょう。
わたしには自転車が良かったと思っているのですが、ほかのひとにもそれが良いかどうかはわかりません。
薬が合う人もいるかもしれないし、TRTが合う人もいるかもしれないし、補聴器療法が合う人もいるかもしれない。それぞれ自分にあった方法を見つけて行くしかないのだろうと思います。